もじりすた
3度のめしより本が好き
読み散らかした中から、おすすめ本を紹介します。
さあ、久しぶりにまじめ系エッセイを読みました。
養老孟司氏、超有名どころですね。
なのに私、そんな養老氏の著書を読むのは初めてです。
この本は、一冊まるまるが一つのテーマで書かれているわけではなく、
色々なところで書かれた文章をまとめたものです。
とはいえ、話の方向性が一致しているので
読んでいて急に話の軸がぶれる、なんてことはありません。
今回は「都市主義の限界」ということでしたが、
都市で暮らす人間の思考について、思わずひざを打つ部分がありました。
それは都市の人は周りが人工物に囲まれているため、なにか事故があった際に
かならず誰かに責任を求める、というもの。
たとえば道に穴が開いていたら、それは道路をつくった市の責任だ、どうしてくれる!
ということになる。
しかし田舎では、道に穴が開いていたら「仕方がない」になるのです。
なにせ自然の中で人間が暮らしているだけなので、だれが作ったとか、
だれの責任、という話にならないのです。
いやー、これ、その通りですよ。
私の周りには、ちょうど「都会育ち」と「田舎育ち」の人がいるのですが、
その違いがまさにこれです。
ですのでこの本を読んで、わあすっきりしたわあ、という気持ちと同時に、
だから最近はクレームが増えてるのかしらん、と考えさせられました。
でもどうして親の代から鎌倉に住んでいるという養老氏が、この違いに気がついたんですかね。
それが不思議でなりません。
鎌倉というのは、私のイメージでは自然の豊富な都会、というものです。
もしかしたら田舎と都会のはざまにあったからこそ、この違いが分かったのでしょうか。
長く住んでいると、客観的に見るのが難しくなるはずなんですが、
その客観性がさすがです。養老氏は都会育ちでも田舎育ちでもなく、
一人の観察者として生きているのかもしれませんね。
そんな養老氏、話の切り口がとても鮮やかです。
皆が普通に受け止めていることでも、どうして?と
違う角度から見て、文章にしてくれています。
ですのでこの本一冊の中でも、私は何カ所も「おおお!」と思うところがありました。
まるで脳みそにミントをつっこまれたような新鮮さです。
そしてすごくいいなと思ったのが、『朗読者』に関する記述です。
これはドイツの小説なのですが、この話を小説にした意義、
というようなことを書いていて、これには立ち上がって拍手を送りたい気持ちになりました。
え?どういう記述だったのか、ですか?
ふふ、それはやっぱり読んでみてのお楽しみ、だと思います。
もしあなたが、ノンフィクションと小説の違い、そしてそれぞれの意義、
ということを少しでも考えてみたことがあるなら、同じく立ち上がるだろうと思います。
おお、同志!
なんて、若輩者が失礼しました。